大東亜戦に破れて、優秀な『男』たちはほとんど帰ってこなかった。
あるものは、南方で玉砕し、シベリヤで餓死、病死し、内地に残った学生たちも特攻に散った。
ハーグ条約を無視した、非戦闘員への攻撃で国内の都市は空爆され、あぜ道を逃げる農夫にさえグラマン機が機銃掃射をしたという。私のうまれた家には戦時中、牛がいたそうである。松山空襲のとき、家の裏から隣接する松山商業のグラウンドにつないでいた牛さえ撃ち殺されたそうです。(その牛を食べたかどうかは祖母に聞き忘れました)
極めつけは広島、長崎への原爆投下であり、これほど人道に対する罪は人類史上ないであろう。
過酷な報道管制と検閲を行い極東軍事裁判で、最後に残った日本の指導者を12.23(今上陛下の誕生日)を狙い、リンチで殺し、遺骨さえ拾わせず東京湾にばら撒いた。(いわゆるA級の遺骨は秘密裏に回収された・A級ウイキ参照)
自虐史観の刷り込み(ラジオ放送・真相はかうだ)漢字制限(当用漢字・現代かなつかい)武道の禁止・・・・
そこまでして、骨抜きにしたはずの祖国は焼け野原から復興して、1964年東京オリンピックを開催、新幹線さえ作ってしまった。そのころの勢いはすばらしく、ソニー ナシヨナル などの小型家電、日産(フェアレディーZ)などのアメリカ市場への参入はとどまるところがなかった。カルロス・ゴーンの部屋にあるという噂の「Z旗」は彼が若い頃に出合ったZカーの父 片山豊のものであるという。それほどその頃の日本人は経済をアメリカにおいても戦っていた。
1963年コカコーラは新しい市場として日本にすさまじい売込みをかけ始めた。私は、中学1年のとき初めてファンタというものを飲んだ、それは『無料』で全校に配られたものであった。おそらくそのマーケティング戦略は全国規模であったろうと思われる。以降、われわれ世代のものはコーラに何の抵抗もない。1969年にはコーク・ハイが全盛期を迎え、猫も杓子も飲んだものである。
さて、1960年代の日本の急成長はアメリカの恐怖心をあおったのではなかろうか?
コテンパンにしたはずの日本は20年足らずでオリンピックを開催できるほどの国に立ち直った。しかも安くて、優秀な
故障をしない家電品、安くてフェラーリを目指すZカーなど、アメリカの基幹産業を脅かしかねない。
しかも、貿易の収支は次第に日本が黒字を刻んでくる。
ここで、立場を変えてみよう、今日本は安価な労働力に下支えをされたシナの製品を膨大に使用しているが、シナの製品は安いばかりで「アジ」がない。いわゆる、世界ブランドに見られる高尚さや 安全性 美的感覚などが低劣であり、私の職業服飾の観点から見ても、とても世界に向けて売れ筋にはならない。たんに安いだけである。
その点で、日本人が企画、監督し、生産ラインまで目を光らせての「中国製」なのである。少し油断すると契約の半分が出来損ないになってしまう恐れがある、事実、私の知り合いは納品の半分がB品で、そのために莫大な損失を蒙った。そのことでシナ製品が日本製を超えることはないだろう。
しかし、1960年代当時のアメリカにおける「日本製」は安いだけでなく高品質!
勤勉で、職人気質の日本人が作り出すさまざまな製品は驚愕に値しただろう。
悪魔の帝國はもとより「日本消滅」が世界戦略の優先課題であった。
膨張する日本人口
成長する産業、これらに歯止めをかける方策がアメリカにあった。(アメリカというより陰の政府の意向)
それは、戦略物資である「小麦」に対してポストハーベストを施し、経済性を優先させながら日本国民の生殖能力をそぎ落とすことであった。1970年ころアメリカ産のかんきつ類(サンキストレモン・カルフォルニアオレンジ)を輸入自由化するためという名目で日本の残留農薬安全基準を『改定』させたのである。オレンジは温州みかんの敵ではなかったがレモンは何層にもかけられた農薬 防カビ剤を保有したまま、レモンティーとなって紅茶に浮かんだ!
是で、外堀は埋まった。 その残留農薬安全基準は「日本人滅亡の序曲」そのもの、ついで小麦は強力な残留農薬と共に輸入が行われる。こんな「安全基準」のためにシナからも毒野菜が流入する事態となっている
1970年以降戦後ベビーブーマーとして人口比の多数を占める私たち団塊世代がなぜ生殖能力を失ったか?
ポストハーベストの影響は誰でもわかるだろう。
メディアは陰の政府(国際金融資本・シオンの丘)に占有され、情報操作されている。
世界人口が爆発しているというのに、なぜ日本だけが子供ができないのか?
それをライフスタイルの変遷というウソにだまされてはいけない!
若い女性の子宮関係の病気がこのところ5倍になったそうだ、私たちを取り巻く『戦後体制』はどの仕組みを見ても
民族の浄化を仕組まれている。
ポストハーベスト