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国家危急! 洗脳から覚醒し悪魔の思想から離脱せよ!
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旗となるまで立ちつくすべし

近頃の稽古の姿です

旗となるまで立ちつくすべし



都はるみが中上健二の誘いで熊野にゆき歌謡界へのカムバックを決めたとき、歌詞を提供したのが道浦母都子だった。道浦氏は1947年和歌山県生まれ大阪北野高を経て1972年早稲田文学部を卒業した。1980年自費出版でほとんど黒一色の装丁本「無援の叙情」をひっそりと世に出した。

私が、道浦氏の「ことば」に激しく感応したのは都はるみの「枯れ木灘残照」の冷たき透明さであった。その歌詞はそのまま、岩波現代文庫 「無援の叙情」に収録されている 残照(1990年代作品群)の中の「夕駅」に見ることが出来る

愛しては人を追いつめたりしこと野火のごとしもなつの終わりの

残照の光の海を二人行く花のごとかる罪を抱きて

両手にて君の冷えたる頤を包みていしは冬の夕

漲らう男の身体 寒の夜を抱き締むれば樹液の匂い


私は、神懸かり的な都はるみの歌唱もさることながら、この歌に込められた尋常ならざる思想を感受した。興味を持って調べてみると、全共闘世代を代表する道浦氏の歌集に行き着いた。

1969年1月19日 東大安田講堂が「落城」した圧倒的な機動隊に奪還闘争は阻止されて神田〜お茶の水にかけて数千の学生たちは路地裏に散った。その中に道浦氏もいたという。


「われらがわれに還りゆくとき」

明日あると信じてきたる屋上に旗となるまで立ちつくすべし

迫りくる楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在

ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく

内ゲバに追われし学園さりし日も我を映しぬ雨のキャンパス

夜を徹しわが縫い上げし赤旗も故なき内ゲバの血に染まりゆく


「1968・10・21」 には

わが縫いし旗を鋭く震わせて反戦デーの朝を風吹く

ヘルメット真深ににかぶりどの顔も近づくものに血の色うすき

線路へと線路へと飛び降りる激しき群れにわれも混ざりつ

確かめ合うスクラム弱く震えいてわれらのインター歌声低き


「曳航の旗」

心優しき革命者なれと説き給いしかの日々君を疑わざりし

鉄パイプの群れに追わるる幻に雪の降る夜を幾度か目覚む

なお燃えて夜を殺戮に走る群れ遠く苦しく見つめいるのみ

「彼岸花」

またこみ上げてくるものはあり雨に濡れ三里塚より届く手紙に

成田への旅費借りゆきし白き背よ去りたる党のその後は問わぬ

「蒼き光」

今生きて在ればなにを為すらむ「暗殺の哲学」残しし和己

私だったかもしれない長田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ

祖国というかくもはかなき一語もて夜毎こころをかき乱すもの


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そうであったのです私がなぜ都はるみの歌にこれほど感応したのか
これは、私自身にも身に覚えのある感情です
しかも、私は今も祖国転覆の野望を密かに懐く不逞の輩でした
当時右も左も同じように苦しんでいたという記念碑です
三島先生が東大全共闘を前に「諸君が一言天皇陛下万歳と言うなら共闘しよう」と
言われた意味がそのあたりにあったのかも知れません。
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