いのちの声 無端庵的こころ               

国家危急! 洗脳から覚醒し悪魔の思想から離脱せよ!
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をんな

すべて「をんな」の世にあらむ


世のをんなは、男を選ぶ権利がある。

猫の譬えで恐縮だが、猫に限らず動物は交尾に際しメスがオスを選べる

我が家の猫は発情したとき戸外に出してくれと言ってわめき散らしました

仕方なく出してやると、夜明けまで帰らない。

一晩限りの恋愛で、すぐ妊娠しました。(その当時二匹の少女猫たちがいました)

月満ちて、生まれた子猫たちは、なんと同じ柄でした。

つまり、二匹の母猫は同じオスに種をもらったのです、猫は住んでいた地区には多数いました

その中で、よりによって同じ柄とは・・・・・優勢の遺伝子です(ボス猫)


現在の我が家の女ボス猫「美衣子」は人間で言えば12〜3歳の頃妊娠しました

生まれた4匹の子供のうちもっとも遺伝子の発現が大きな娘「誉衣子」が同居しています

尻尾が鈎になった「カギ猫です」これは関西に優勢な遺伝子だと聞いたことがあります

つまり、より強い猫の種を受けたと言うことです


動物には強姦ということは無理なので、メスが承知しないことには交尾できない

男が、その魅力を問われるのです  嘘まやかしはありませんし、金銭は関係ない



さて、をんなの魅力を人間界でお話し致したい

母性は、何せ強いものです、命の目的はリモデリングだと昨晩書きました

本能によって、強いオスから種をもらい、自分と同じ命を育む、それは何より強い希望

欲求、と言ってもいいかもしれない  それを阻害されることは 命をかけて阻止する

それが、母性だと考えます、 またメスは本当に優しい性です

母猫をみていると、生まれた子供のおしりをなめてきれいにしてあげます

本当は人間もそうなんですが、本能を忘れた(壊れた)母親も多くて悲しい限りです


日本では、武士の文化が1000年にもわたって花咲きました

そこで、醸成されたのが、「武士の妻」という麗しい地位です

旦那様が帰宅すると、何はともあれ 玄関にお出迎えして お刀を素手で触れないようにして

お預かりし、刀掛けへ・・・・次には袴を脱ぐお手伝いを・・・お風呂かご飯かと

お尋ねする、ご飯なら、いい浸かり加減のお銚子が準備できている

子女の教育を任されて 怠りなく勤める

たまに、甲斐性のある旦那様だと 他に妾をおいても 知らぬ振りをして聞いたりしない



ここで大事なのは 江戸時代 をんなは 男と同格だったと言うことです

三下り半という離縁状は、男が勝手に書けるものではなく をんなが次に自立できる

推薦状のようなものだった(それをもらえば 再婚可能)

また、仲人はをんなが困ったときに仲裁をする 女性側の夫婦者だった


それをふまえて をんなが 男を立てるという行いがいかに大事か考えてみよう

同格なら、一歩譲ったものが「余裕」があると思えないだろうか

私ごとで恐縮だが

運転しているとき 常に相手に優先権を与えています

歩行者 自転車 対向車 すべてです

なぜならば、私よりあわてているかも知れないからです

仕事でもそうです

常に交渉相手に優先権を与えます

何事もスムーズに片づきます

{与える」のであって 奪われるのではありません(ここが勘所)

自由 自主を唱える 大バカどもが 権利をよこせとわめいているのは

見苦しい限りですよね   ほほほほ   のほ

をんなは 日本にあって最優先の存在です 神世から変わりません

どうぞこれをよんだ をんなの方たち 男を立ててやってください

男が脱いだ靴をそろえ 服を洗い 食事を整え 子供を育み

尽くしてやってください


男は あなたのため命を捨てます!
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質量不変

何が変わって行くのか

天地開闢以来この天体上の質量は不変である

わかりやすく言えば地球上のすべてのものは

増えも減りもしていない

ただその形を変えているだけである

宇宙から飛来する隕石や 人類が宇宙に送るロケットなどは

億兆分のごくわずかの例外であって、取るに足らない事象である

生命が存在するのも、この特殊な例外に違いなく思える

さて、無から生じた我々のいのち また他の命が ここにある

その限られた命の姿は人類で言えば約50年の寿命

今ここに祖国は自由主義国家に名を連ね、経済の発展とともに80年の

平均寿命を手にしているが、はたして、国民は幸福感を得ているだろうか

私には、とても幸福感を得ているとは思えない

なぜならば年間3万人の国民が自殺する、これを10年間で見ると30万人だ

四国の県庁所在都市民が全員自殺した光景を考えてみて欲しい

これは、緊急の改善を要する国家的な異常事態であると言えるだろう


100年に1度価値観の見直しが必要なのが近代文明であろうが

文明の衝突であった大東亜戦から既に60年が過ぎ、我が国の価値観も変わった

先に述べたが、ほとんどの人の人生は80年ほどであり、人が生まれ、また死んで行く

その間に経過する国家としての価値観が、その国民の幸福感と同調するのは当然だ


ペルシャ帝国 〜大英帝国まで滅びなかった強権はないのであって、いま覇権を握る

汎米国主義もやがて終焉を迎えるであろうことは想像に難くない

中凶などは何のポリシーもなくパクスアメリカーナの物まねをしているのみだ

大東亜戦を起点に世界文明の衰勢を見るとき100年の時間猶予はないであろう

なぜなら世界に巡らされたネットワークが瞬時に情報を伝達でき、輸送の質的向上は

広島から東京へ輸送するより、ブラジルから東京へ輸送する方が安い状況を生んでいる

さらに、国家間格差は、より安価の労働力を開発途上国から上位国へ提供する

石油利権や 核利権 さらには人命の利権までもがやりとりされている、この世界は

異常だと気づかなければ、ドッグスピード(3倍速)のかかった文明は

あと20年もは維持できないであろう


日本という特異な文化をもった国が転換点を打ち出す時期が来ていると思う

価値観が変わるのであって 事態は同じことなのだが 結果が大きく違うだろう

生命の目的はリモデリングこの1点であることを思えば

国家の目的や 文化の目的は・・・・存続・再生・再々生の循環の中にあって

正統な思考を継承し 伝達出来れば その意味を充足できるだろう


中凶が他国を侵略し 文化を蹂躙していることがいま、世界から非難されている

やっていること自体が100年前の帝国主義で誠に残虐この上ない、非道である

このような人間性の欠落した国家が行う五輪大会が、意味あるとしたら

先の大戦は何の教訓になったのであろうか。

経済効果や 競技者の名誉欲(金銭も)のために行われるのであれば「はしたない」

サハラ以南の最貧人民が聞けば 驚くような贅沢な選手団を送り込み中凶の水さえ飲まない

その食生活管理をしなければならないようなら、中凶シナにも失礼な行いであろう

何せシナの物は口にしないのだから・・・それがおかしいと言いたい!

その尻馬に乗り、聖火リレーを厳重に警備して挙行した我が国の出来た成りの人たちが

後年ほぞをかんで後悔する姿が想像できる また聖火ランナーたちも後悔するだろう

人殺しの共産党中央の協力者となったことを恥じるに違いない(心があればだが)



コングロマリットに煽られて、いいように報道させている政府の腰抜けどもや

強圧を跳ね返せない情けない日本のメディア アホ番組を見なければならないかのように

仕組まれても気が付かない国民 世に言う反日朝日も親日産経も同じ穴の狢であり

金銭に操られない可能性があるのはネットだけになった現実が突きつけられている


今回の中凶シナ叩きも 汎米国主義の牽制と考えれば 妙に納得がいく話であり

シナの暴虐を放置してはならないが、それを非難するだけではことが済まないことを

忘れてはならない

新しい価値の時代がそこまで来ている それは物の量ではない、心の質だ

日本という国は持たない文化を誇った 簡素で素朴な暮らしぶり 志の高い人を尊んだ

それを取り戻したい  それこそがDNAに仕組まれた喜びあふれる命の姿のはずだ

つまらない人たちが織りなす悪行に耳目を奪われず 真に命が求めるもの

それは、何か?  真剣に考えたいと願う。
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シナの

何という卑劣か!

読売新聞から
聖火リレー辞退の善光寺、本堂に落書き
2008年4月20日(日)11:43


(読売新聞)


 長野市で26日に行われる北京五輪聖火リレーの出発式会場を辞退した善光寺(長野市元善町)で、20日午前5時40分ごろ、国宝の本堂の柱などに、スプレーのようなもので落書きされているのを、巡回中の同寺事務局職員が発見、長野中央署に通報した。

 善光寺事務局によると、落書きは白色で、本堂の外壁の柱に半径約50センチの円形のようなものが6つ、北側の扉に幅5センチ、長さ1・2〜1・3メートルの直線1本が書かれていた。

 境内は施錠されておらず、24時間自由に出入りできる。19日午後11時ごろ、本堂で泊まり番をする職員が巡回した際には、落書きはなかったという。同寺は19日夜から警備員を2人増やし4人にしたばかりだった。

 善光寺は642年に建立されたとされ、現在の本堂は、1707年の火災後に再建され、1953年に国宝に指定された。

 善光寺が18日に聖火リレースタート地点の辞退を長野市の実行委員会に申し入れた後、同寺には、100件近くの電話があった。多くは辞退を支持する声だったが、反対の電話も数本あったという。


国宝を毀損するとは  やはりこれが文化を尊ばない連中の本性である

日本国自体を毀損しようとしているシナの悪行を断固糾弾するため各地のデモには

団体 所属の垣根を越え参加して  声を上げよう
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駒澤大學 空手道部  御中

駒澤大学空手道部 及び竣空会御中


今日57歳にして 理解できたことがあります

私は。1969年入学 空手道部   宮田重則の兄弟分  大城戸と申します


宮田君が1年の頃  試験があると言って  恐れたいました


それは、空手道部の練習で Xデー   道場の壁に尻を付け 足を上げた姿勢から


壁に添って足を開く(ケツが裂けると言ってました)その日のため下宿では毎日柔軟をしていた


上級生が無理矢理足を開く・・・・・恐ろしい


そのXデーでは そのような過激なことは行われなかった


伝統の方便だったのです(1年生はそれを信じ懸命に柔軟を自発的にする)


あっっは  駒澤大学空手道部の深さを 思い知りました


今年も1年生を騙すのでしょうね     いいですね!


その宮田君も1昨年死にました


死ぬ前に私に会いに来てくれました


おみやげは 彼が若い頃の写真が掲載されている 空手道部記念誌 と 獅子吼のTシャツ(空手部Tシャツ)


彼が生きた記念に 大切にしています


どうぞ伝統を大切に 駒澤の名を高からしめていただきたく   

この一文を呈します




     1969入学 国文 9国81    大城戸豊一  (ローバースカウト
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基道館 尚武の歌

     基道館  尚武の歌

一番   蒼茫これを母となし銀河悠遠夢となる
    平成の世のもののふは身に一片の迷い無し

二番  嗚呼麗しき伝統の遠き流れを受け継ぎて
    明日に伝えるその義務(つとめ)我らの心高むべし

三番  学びとなるべき武の道は果てしも見えざるものなれど
    今このときに求むれば標となりて身を正す

四番  尚武の心篤くして百錬自得懈怠なく
    矜持気高く匂い立つ真剣道に活きるかな

五番  精鋭集う基道館佳き志あるところ
    義の無き時代(とき)に生きるとも日本薫る華となれ


   平成三年赤夏制定   作詞 師範代 大城戸豊一
               曲 青年日本の歌 
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祷る貴人

珍しく紋付きを着ました

祷る貴人


悪逆非道の中凶 あるいは シオニスト にすら痛みある事なかれと祷る人

無私の極みにあって それを知らさぬ人

世界人民はおろか すべての生きとし生けるもの・・虫に至るまで

安かれと祷る

午前6時 皇居において 陛下は祷られ給う

世界が平安であることを

人々が安穏であることを

あらゆる危難が過ぎ去ることを

食を与えられぬ人のため   祷られ給う


ありがたし

そを 思うとき 涙流れてやまず

懐かしき先帝陛下のお姿 また今上陛下のお過ごしの様  ありがたし

今世界は 紅蓮のほむらに包まれようとしている

世界の民草にため 指導者として祖国は 起たねばならない

そのときは 今

瞬時の時をおいてはもう取り返しがつかないだろう

個人のいのち すてさりて  特攻に散った先人の覚悟を思え

語るべき時は  過ぎ去りぬ  今 行動の時至る



                  大城戸豊一@維新の狼
新右翼〜民族派〜その先? | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark

世間様ありがとうございます

母 大城戸利子 50歳代

世間様ありがとうございます


私は裕福な家に生まれた。松山市に自家用車があまり無い頃、

シボレーやヒルマンといった自動車に乗っていた記憶がある

母の実家からは運転手付きのベンツが迎えに来ていた。

私はそれで学校に行っていた、もう45年くらい目のことである

が、突然両親の離婚が原因で赤貧に陥る  母34歳の時であった

事情があって実家とは隔絶していた

私は中学2年生 裏寂れた2間のアパートに母と二人で住んだ

母は中華料理店のウエートレスやバーの女給をして その日暮らしをした

あるころから給食費を払えなくなった 私はそれが悲しかったが、食べたい年頃だった

毎日の給食の時間になると、お金を払わずそれを食べることが屈辱だった

給食費が払えなくなって3ヶ月した頃 担任に呼ばれた 

「私が立て替えているので払って欲しい」といわれた

うちにお金がないのはわかっていたので私は黙って下を向いたままだった

そのお金がその後どうなったか記憶が定かではない

母と担任が話し合ったのか・・・?



ただ、この年になり、それを許してくれた世間様に感謝している

恥にまみれて食べた給食がどれほどありがたかったか

それを、じっと見ていてくれた担任の先生


バーに勤めて私を育ててくれた母にも深い感謝をしている

それどころか、高校3年の夏、無謀にも東京の大学に進学したいという

とんでもない私の申し出に 食事の箸を置き居住まいを正し、にっこり笑って

「ええよ、東京には行かしてあげるけん」と応えてくれた母の姿は忘れるものではない

母は道後の旅館の仲居さんになって懸命に働き、東京の私に給料を全部仕送りしてくれた

自分はもらったチップだけで生活をして、不満を聞いたことがなかった


人生も、はや57年過ぎた それがどういう成績なのかわからない

世間様には迷惑のかけ通しだと思う

そんな中でもせめて、自分だけが食べることのほか1切れのパンを

世の中に戻せたらと願っている

それは、少年の日わたしがおこぼれをいただいたその感謝からの思いである
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入門誓願

入門誓願


入門誓願とは、武術で入門時、弟子となる人が血判を押して差し出した契約書

今でも私の道場では、しきたりを残して、書いてもっらている。

もっとも、今は捺印でいいことになっているが。

この中には、流儀の掟を守るとか、秘密を口外しないとか書いてある。

差し出す方は、約束を守るだけでいいのだが、またその時点ではそんな風習ぐらいの認識だ。

受け取る方が、実は大変。 入門者を一人前に育てる責任が出来てくる

私の流儀は現在22代目の御宗家がいて約400年の歴史がある。その伝統を確かに

伝えなければならない。先生の先生そのまた先生と、思いを致せば

どれだけの先人が、辛酸を乗り越え、真摯に流儀を伝えて来られたのか、400年は長い時間だ。

その最後尾に今の私がいて、縁あって入門する人の指導に当たる、襟を正さずには居られない

私の師匠が、80歳の頃、誰よりも早く、道場に立ち、最後に退出されていたお姿を思い出す

しかも、京都の宇治から、電車で和泉市まで片道2時間をかけて来られていた、稽古が終わって

ご自宅に着かれるのは、深夜だとのお話しだった。

このような明治最後の武道家の薫陶を受けた自分が
 
恩返しをするのは、やはり、武道の伝承をしっかりすることであろうと思う。

400年前に書かれた入門誓願 幾人の先人が守って伝えてきたのか

静かに端座して私に差し出された私の弟子のそれを読む、

これを護持することが、未来に渡る約束の継承で、

連綿と続いた武士たちの系譜の、1齣になりきる事であろう

弟子たちのうち誰かが、また、それを伝えてくれるのを期待しながら

薄い紙を丹念に積み重ねるような修行が続く。

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