御宗家
お目にかかれて光栄な御宗家の方々の思い出
真陰流 柳生延春先生
大阪柳生会に入門し始めて高野山の合宿に参加したおり 先生は私の質問にそれは丁寧に
お答え下さいました 御著書にサインをいただき お言葉をいただき終生の思い出を下さりました
お人柄を偲び ご冥福をお祈り致します 三学円の太刀は私の財産です
田宮流 妻木正麟先生
武者修行中 伊予西条に伝わる田宮神剣流の継承者である 妻木先生の田宮流の門をたたいた
和歌山での講習会で、稲妻はどこを切るかとお尋ねすると ああそれは肘ですと お答え下さりました その角度(刃筋)拍子を身振り手振りで教えて頂きました 懐かしく存じます
あのおひげを偲び ご冥福をお祈り致します 胸の刀は新鮮でした
大和柳生 植木康行先生
英信流から離れて五年武者修行のさなか植木先生に巡り会いました 私の経歴と目的を容易にご理解下さり 即座に末席に加えてくださいました
冬のとある稽古の夜 木刀で約束なしのお稽古をつけて頂きました そのありがたさは 言葉に出来るものではありません 師範代にもご厚情賜りました 今でも時々お電話させていただいています
黒田藩 柳生真陰流 濱田勢州先生
私の師匠の盟友であり また私の短慮から師匠と不仲になったとき取りなして頂いた恩人
そのお人柄は暖かく行き届いたご配慮 誠に忝なく感じ入る所です
また、その術義は瞠目する動きにして またその儀礼位高く厳粛
今 20年を経てその先生のご門弟と誼を結ぶ不思議さを思い致しています
静かにして激烈だった先生 ご冥福をお祈り致します
民弥流 黒田鉄山先生
出会い頭に「参りました」こんな人が自分と同じ年とは
守口体育館で講習会がありました 剣道日本に紹介される 師の写真で「声抜き」の眼光が
恐ろしく見え 是非お会いしたくて 講習会に参加しました 剣道場に入ると先生が立っていました
その姿を見たとたん これはかなわない 特別な種類の人と感じました
先生はご自分の佩刀延寿 を持たしてくれましたが ことのほか重い感じがしました
現在は有名になられて 日本を代表する武術家としてご活躍です
松聲館 甲野善紀先生
初めて御逢ひしたのは大阪の講習會 井桁崩しの頃です 先生はハンドボールほどの物をご持參され 意識の持方を
御説明くだされました その頃の參加者は10名程 主に合氣道の方たちでした
刀 しかも眞劍をもつて參加したのは私一人でした 先生も御懇意にご指導下さりました
現在はTVなどでも御活躍 ご同慶の至に存じます
英信流 池田聖昂先生
御宗家に最後まで意見を言った私の師匠は先生の兄弟弟子にして 池田昂淳先生に20代宗家河野百錬先生の摂政 斎木賢司先生の所から近いという理由で師匠を変えました それをああいいよ と言って許した 斎木先生の大きさを今感じます
その 池田先生に死ぬまでたてをつき通した村上範士の師範代であり 村上範士の基道館二代目の私に心を配ってくれるのを感じます 御宗家のひょいとしたときの笑顔が好きです
薩南塩釜流 山口孟先生
剛直にして繊細 初めてお目にかかったのは昭和の終わりころ 京都大会でした
私の演武の後が 山口先生でした
その後 先生のホームグラウンドまでおたずねした 試し斬りなど お互いに研鑽致しました
丹波の夜に酌み交わした 小鼓が思いで深い・・・・
今日 架電致して お話し致しました
維新政党新風 魚谷哲央氏
民族派の最大組織 新風の指導者 神官
飾り気がないにもかかわらず醸し出す品格に心惹かれます 一旦愛国の激情あればその激しさは
想像もつかない 京都にあるご自宅に泊めて頂いたとき 祭られている 憂国の人士に涙しました
毎朝 そのみたまに真心を捧げていることを存じ上げております また私ごときを新風本部の参議院選の候補としてお引き立て頂き この友誼忘れるものではありません
現在は 新風の裏方として着実に行動されています また近々お会いしたいと思います
卍一刀流 村上基助先生
私の師匠です 英信流八段範士 その腕前は日本全国にとどろきました
先生を知らない英信流剣士はもぐりです
私が六段になり 守破離の教えに従い 道場を離れるとき 暖かく送り出してくれました
十段も夢ではない先生が八段で逝きました 私は終生七段でいようと思います
先生から受け継いだ卍一刀流六代は 無事七代塚本不傳庵に渡しました いい後継者に巡りあい望外の幸せです
思いつくまま今までお会いできた御宗家の思い出を書いてみました
どの方もやはりひとかどの品格をお持ちの人でした
この出会いをありがたく存じます
無双直伝英信流剣士 七段錬士 基道館長
卍一刀流 六代宗家
夢想月下無端流 宗師範
(心傳無端流)
大城戸豊一基輝 無端庵有限齋