いのちの声 無端庵的こころ               

国家危急! 洗脳から覚醒し悪魔の思想から離脱せよ!
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夜明け前

道後にて



夜明け前・・静かに思うしばらくの時

秋の気配が深い匂いを持った今頃の夜明け前は
一番好きな時間だ。
昨晩、道元禅師関連の読書をしてから早くに床に着いた所為で
もう、目が覚めてしまった。
今、4時30分。
高層から眺める夜明け前の大阪平野の燈火がなぜかしらいとおしく感じる。
この2〜3日離れて行くと宣言した組織のありようについて、外部の方のご意見や、
私のすぐ上の幹事長、2人の方とお話しをした。
どの方も、祖国の行く末について、心を砕いていることはひしひしと分かった。
しかしながら、立場と言うことは自ずと違うものだ。

熱心に瑣事をかたづけて行くことは重要な生き方だと思う。
物事に、重い軽いがあったりしない。あると思うのは、金銭に置き換えたり
出世に置き換えたり、物事に執着している姿であまりよいものでは無かろう。
自分に与えられた、命題は、すべて人生の宿題であるから、その日のうちにかたづける。
そうしないことには、宿題がたまってしまう。これは、心の負担である。
手に負えない事柄は、1晩放置することもあるが、それでも昼には心を決める。


夜明け前の窓を展き、街の音を聞きながら、「林住期」の自分の振る舞いを決めている
すべてのしがらみを精算し、人間関係を徐々に切って行く。最後には自分一人で死んで行くのだと
覚悟を決め、「打つ人も打たれる人ももろともにただひとときの夢のたわむれ」と喝破した夢窓禅師のお心を偲ぶ。

そう決めた、自分が、この夜明け前に肩に担いだ俗世の肩書きや、人間のしがらみをものの見事に捨てきって、深く呼吸を3度、また3度、息を吐くたびに変わって行く感覚を生んでいる。
今朝、生まれ変わった自分がなし得ることは、新しい何事であろうか。
いずれにしても、それを全力で、行うばかりだ、クタクタと理屈を言っている内にこの夢が過ぎてしまう、他人から見れば災難でも、私は喜んで災難に遭ってみよう。生きていることは、奇跡に近いありがたいことであるから、生きて生きて生ききり、死んで死んで死にきる。
いずれ煩悩にまみれた人生である、バカはバカなりにバカを徹底するまでと自分に言うのである。

展いた窓から夜明け前の冷たい風が入ってくる、ひとつの時代が過ぎて行くのだが、それはとどめようのない姿である。過ぎ去るものは過ぎ去ればよい。ひたすらに、「自分」を行うばかりだ
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青年

青年讃歌   
    野村秋介 作詞
    平山忠純 作曲

一 ああ日本の青山河
  起てば声なき白雲の
  彼方に散りしひとありき
  友よ大悲を知り給え

二 昭和維新のことならず
  空しく消えた雄叫びが
  渦巻くごとし天の川
  友よ哀歌を吟ずべし

三 短き命逍遙と
  行けば維新か牢獄か
  銀河が蒼く澄む夜に
  友よ涙をするなかれ

四 国のためには剣あり
  友のためには涙あり
  見よ雄渾の夏雲を
  友よ悲憤を秘むるべし

五 思えば恋も酒もあり
  思えば月も花もあり
  ああ混濁の世を生きて
  友よ未完の詩を愛せ

六 高楼天に傾けて
  呑む盃に日の本の
  銀の涙をなみなみと
  友よ炎のごとく呑め


野村先生の大悲を感じ 涙流れます
ネットウヨク諸君 これが本物の国士の歌です

ある年の11月25日 ある場所で野村先生とお会いしました
先生は私の手を強く握り「これからはあなた方の時代だ祖国を・・」と話されました。しばらくして先生が朝日新聞社で自決されたのは衝撃でした。
今も維新のことが「いのち」の目標ですが、もどかしく生きながらえています。
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98軍刀 

四国の旧家から出てきました。

尉官級の刀緒(裏が紺)がついています。これほど完全に保存されているのは珍しい。 刀身も綺麗です。

信濃国源友磨の銘ぶりは自信にあふれて昭和17年に鍛刀されました。当時大東亜戦初期、勝ちに勝っていたころです。洵に意気盛んなお刀です。

ちなみにこの軍刀外装は昭和18年まで制作されました。尉官のお金持ちが誂えた特注品です。友磨に刀身を誂え、外装を誂えこの軍人は、その後いかなる戦いをしたのでしょうか。


toyokazu okido shinozaki
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逝った人を偲び あの日の空を思う








夕刻、大阪南部は強い雨である。
ときおり遠く雷鳴が聞こえる。

義父が逝って、はや11日が過ぎた。死の知らせを聞いてから、病院へ駆けつけ、初七日の法要を済ませるまで、諸事を運営することに忙殺され、悲しんでいる暇がなかった。
夕暮れのひととき、去っていった義父を偲び、酒を酌んでいる。
少しばかり思い出してあの日のことを書いておこうと思う。

8月22日午後7時 寝ているかのように見えた義父の体が冷たいのを義妹が見つけて医師が来たが
死亡を確認。
午後7時30分 病院に私が到着するが 義父は別室に安置されていた。
同時刻 医師が死亡診断書を書けないと言い出した。刑事が来て現場を検分するという
9時ころ 刑事(強行犯係 刑事課)2人が到着 検分を始める(事件性がないかの確認)
11時過ぎてから警察医が到着 遺体を検分し 検案書を明朝取りに来なさいとのこと
その後やっと寝台車の手配を出来ることになり、遺体を自宅に運べたのは早朝3時だった。

堺市にあるベルランド病院では入院患者が死亡しても担当医2人がそろって、死亡原因がわからないそうです。このように頼りない医師、たとえ耳鼻科の医師であっても国家資格を持った、与えられたその自覚がまるでありませんでした。死亡の2〜3日前から悶絶している義父を放置し(なぜ苦しんでいるか理解しようとせず)苦しむだけ苦しませ、義父は「生きる意志を」失い心が死んだのだと思います。心が死ねば体も死にます。体のことばかり見ているようでは、なぜ死亡したのか、見当もつかないでしょう。これが、現代医学の限界です。担当責任を取るつもりなく警察医の死亡検案などに逃げたその2人の医師の後味は悪いでしょうね。

8月23日通夜
堺市鳳ベルコにて夜7時から
静岡から駆けつけて頂いた曹洞宗円明寺住職宇佐美文英師を導師に厳かに行われました
参列する方150人  義父の交友がわかります

8月24日告別式
ベルコにて13時から
宇佐美文英和尚が 引導を渡してくれました 曹洞宗の引導は激しい声が響き驚かれる方もいるそうです。 参列者100人 弔電が多数お名前しか読めなかったことをお詫びします
焼香の際答礼致しておりましたが、西村真吾先生が御自らご焼香に来られていました
生前の病院へのお見舞い 弔電 ご焼香ありがたく存じます。またご多忙にもかかわらず各企業の社長様 ご焼香ありがとうございました。お手伝いをいただいた八田西町 校区の皆様ありがとうございました。

堺市斎場で火葬の上ベルコにて初七日法要 しめやかにしかも義父が本当にいなくなったことをかみしめながら

7時から同所にて精進あげ

まだ、私には墓所の件 位牌の件 49日の法要の件 遺産相続の件を すまさなければなりません
しかし、婿の中で私にかたづけて欲しいと言う義父の遺志を遂げるべく、やるだけです。

静岡円明寺住職宇佐美師には感謝の言葉もありません
お忙しい中わざわざ大阪まで来てくださり2日に渡るおつとめ端然として頂きました。

このところの私の記事がふらふらしていたのはそういうわけですどうぞご海容のほど。
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