いのちの声 無端庵的こころ               

国家危急! 洗脳から覚醒し悪魔の思想から離脱せよ!
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入門誓願

入門誓願


入門誓願とは、武術で入門時、弟子となる人が血判を押して差し出した契約書

今でも私の道場では、しきたりを残して、書いてもっらている。

もっとも、今は捺印でいいことになっているが。

この中には、流儀の掟を守るとか、秘密を口外しないとか書いてある。

差し出す方は、約束を守るだけでいいのだが、またその時点ではそんな風習ぐらいの認識だ。

受け取る方が、実は大変。 入門者を一人前に育てる責任が出来てくる

私の流儀は現在22代目の御宗家がいて約400年の歴史がある。その伝統を確かに

伝えなければならない。先生の先生そのまた先生と、思いを致せば

どれだけの先人が、辛酸を乗り越え、真摯に流儀を伝えて来られたのか、400年は長い時間だ。

その最後尾に今の私がいて、縁あって入門する人の指導に当たる、襟を正さずには居られない

私の師匠が、80歳の頃、誰よりも早く、道場に立ち、最後に退出されていたお姿を思い出す

しかも、京都の宇治から、電車で和泉市まで片道2時間をかけて来られていた、稽古が終わって

ご自宅に着かれるのは、深夜だとのお話しだった。

このような明治最後の武道家の薫陶を受けた自分が
 
恩返しをするのは、やはり、武道の伝承をしっかりすることであろうと思う。

400年前に書かれた入門誓願 幾人の先人が守って伝えてきたのか

静かに端座して私に差し出された私の弟子のそれを読む、

これを護持することが、未来に渡る約束の継承で、

連綿と続いた武士たちの系譜の、1齣になりきる事であろう

弟子たちのうち誰かが、また、それを伝えてくれるのを期待しながら

薄い紙を丹念に積み重ねるような修行が続く。

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昇段審査会

近畿地区居合道連盟昇段審査

初段3人 2段1人 3段2人が基道館から受審致しました
(地区審査は5段まで)

一番心配していた人も高得点で合格していました(学科100点 実技72点)
やれやれです。 ことしは審査の会議が紛糾して時間がかかりました。
会議室から責任者にお呼びがかかってもいいように、近くで待機していたら
師の兄弟子である地区連盟副会長F先生が出てこられ、私に近寄って来られたので
「来たか!」お歴々の前で釈明をする覚悟を決めました。
しかし、なんと問題は違うことだった。
先生は(私は親しみを込めオジキと呼んでますが)「らちがあかん、ちと休憩」と
出てこられたのでした。
そんなこんなで朝9時から始まった審査会 初段の新規登録が終わり、大浜体育館を出たのが 4時30分になっていました。
そとに道場のものそろって、ぞろぞろと玄関を過ぎる時、御宗家がこちらをごらんになっておられました、既にご挨拶をすましているので、軽く会釈をしながら通りすぎようとすると、我々に手を振っ てくれていた。 最後まで御宗家に異論を唱え譲らなかった、師である村上範士の遺訓を守り、基道 館の武風を変えない私たち 誰が見ても古流そのもの 今となっては異端の者たちに気さくに手を振 って頂ける・・・・ありがたく思いました。

他の道場の先生方は なぜか遠巻きに見ておられるので実は肩身が狭いこともあります。

その後は 堺チンチン電車通りの「ちくま」で恒例のそばを食べて解散。

思えば、稽古をするための道場もなく師弟4人の頃からの習いながら、今年のそばは格別でした

主席師範代が錬士を受審出来るのは来年5月京都大会です

錬士から指導者の資格が出来ます

それまでもう1年 館長を務めましょう

また明日は稽古があります  初段になった人にお祝いに武号を贈ります

立派な修行を期待して。


武号によせて

御昇段おめでとうございます 日頃の錬成なって
有段者として認められたことを、お祝い致します。
今後もますます御精武されますよう祈念致します

さて、この記念に武号を贈るのが習いですので
約1月ほど 考慮致したものをお渡し致します

出来得れば、基道館の武道に対する考えと一体となって
今後も、武道のみならず社会に貢献できる人格を陶冶され
有意義なる人生の一指標として頂ければ幸いです

武道においては師を超えることが一番の孝養です
いつ何時でも超えてください

私は無端庵といいます
皆さんに 不の字を使いますが ある程度になれば 無の字に変えてください

禅においては 無学は もう学ぶことがないという意味
       不識は 知らないことがないということ

否定のように見えますが実は内容が充実していることなのです

字の意味をよくお調べになって、各各の修行の道しるべとして頂くと
ありがたく思います。

 皇紀2668年弥生18日
   基道館長   大城戸無端庵基輝
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